何も知らずに始まった介護の仕事

東京で自由気ままにフリーターをして、ゲーム、パチンコ、競馬などを好き勝手に

楽しんでた20代前半の頃は、その日暮らしで、特にプロレス観戦しては、ストレス

発散して楽しく毎日を過ごしてたよ。でも、そのままだったら駄目人間になってた

と強く思う。

 

母ちゃんの実家が、お店をやっていて、おばあちゃんが倒れたから手伝いに来て

欲しいと連絡があって、嫌々ながらも自分は、おばあちゃんが大好きだから行く

事に.....おばあちゃんは、悪性の癌で2か月ちょっとで亡くなったけど最後の方は

訳も分からずに、夜中だろうが徘徊して転倒の繰り返し.....

こっちが、おかしくなりそうな位、大変でした。

 

東京へ帰ってきて少し、おばあちゃんの初盆で来ると親戚や近所の集まりで食事

会をしてると、近所の叔父さんが、特別養護老人ホームの理事をしていて、自分

が東京でふらふらしているから使ってやってくれないか、と勝手に話が進み、次

の日に施設長と短パンで面接し2週間後には、施設の職員として立たされていま

した.....勝手に決められ、何も知らずに介護の仕事が始まってしまいました.....

 

介護の仕事で自分の職種は、介助員です。施設の設備に関する業務と介護職員の

補助的な仕事でした。ゴミ出しや設備のメンテナンスと送迎車の運転手などの、

何でも屋。でも自分の指導担当の年配の男性は、一切教えてくれない、ほったら

かし状態.....右も左も分からないので、この時が一番辛い時期でした。

 

やる事が無いから施設内をフラフラしていると、ずっと個室で泊まっている

おばあさんが、個室に招き入れてくれて話し相手をしてくれました。

小さな町なので、自分の、おじいちゃんやおばあちゃんを知っていて、自分が

孫と知って(こういう情報は知れ渡るのが異常に早い)、心配してくれて声をかけ

てくれたみたいです。(凄く嬉しかったのを今でも覚えている)

狭い個室でベッドに座り、お茶菓子もらってくつろいで.....

大変なら少し休んでいきなと本当にベッドで、ちょっと休めば、やっぱり見られ

ていて、報告され注意をされる.....見たなら直接言えばいい事も上に言ってから

後から言われる。東京でバイトしていた時は、その場で怒られたり注意されていた

ので(男性の職場でした。)この時ほど、女性って怖いって思いました。

 

この当時、介護職員は、ほぼ女性です。東京に居た頃から女性と会話をすると

赤面してしまい女性に対する免疫はゼロで苦手意識があった自分には苦痛でした。

女性恐怖症ですね。東京に居た頃は、男友達と遊びに行くだけでしたしね。

 

 

ここから自分が介護の仕事を続けられたのか、胸を張って誇れる?と思う様になって

いったのか、昔の記憶を思い出しつつ行こうかな.....

 

 

 

今思う関係ない.....一言

アメリカザリガニのこと、マッカチンって言ってたよね?